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 平成15年度の区長をつとめていらっしゃる實(みのる)さんは、毎日忙しそうに奈良田中を駆け回っています。ちょうどこの日も、取材をさせていただいていた文江さんのお宅に、配布物を持って登場。文江さんの取材後、私たちは早速、實さんのお宅にお邪魔させていただきました。

 實さんは、私たちを快く迎え入れると、昔の奈良田の様子を詳しく話してくださいました。それもそのはず、實さんは大変勉強熱心で、平成15年3月に開催された、奈良田七不思議ツアーのガイド役もこなしたほどです。

 まずは、奈良田の焼畑の話。木を燃やした灰を肥料とする焼畑では、3年間使用した場所にハンノキ(一部カラマツ)を植えて、次の場所に移ります。普通は15年経ってから再び元の場所へ戻りますが、16年以上土地を休ませることをヒトケ(=1周期)ヤスミといい、これをやると木を切るのが大変だったそうです。
 また、奈良田の焼畑は、広河内、黒河内、白河内あたりに分布しており、広い所では5反ほども面積がありました。やぶ焼きは耕作している人がみんなで協力して行い、食糧などは若い人が下から山に運んだそうです。
 實さんのお宅では、昭和28年に植えたアラク(焼畑の1年目)が3年目を迎える昭和30年に全て終了しました。ちょうどこの頃に、奈良田でダム建設が始まったそうです。

 自給自足で生活していた奈良田では、實さんが小学生の時くらいまで、正月は旧暦で迎えたそうです。「おそらく、雪が一番降る時に休めるようにとのことだったのではないか。」とは、当時の生活を知る實さんの考え。
 奈良田で珍しい行事が多いのは、小正月。2本のカツの木に顔を書いて、頭に削り花(カツの木の表面を薄く削って花に見立てたもの。)とまゆ玉(木の枝に団子を刺したもの。)を刺した『おほんだれ』や、前年の正月からの1年間で嫁に来た女の人を、子供たちが棒で叩く『おかたぶち』。また、『おかたぶち』の後に、豊作を願って行う『成木責め』(柿の木や梅の木に「なるかならぬか、ならねばきるぞ」と言って傷をつける)など、奈良田の小正月行事は挙げればきりがありません。
 しかし、こうした行事の中には、子供や若い人がいなくなってしまったためにできなくなってしまったものもあり、實さんも残念そうな様子でした。

「奈良田には珍しい文化がたくさん残っているので、それを守らなければならない。」

 と、おっしゃる實さん。特に、白樺会の創始者で、奈良田の歴史や文化を残すために尽力した深沢正志さんが亡くなってからは、他人に頼らず、地域のことは地域でやらなければならないという気持ちが強くなったそうです。
 實さんによると、奈良田の文化をなくしてはならないという想いは、皆が持っているといいます。しかし、生活の拠点が変わるとどうしてもそれが薄れてしまうそうです。長く住んでいると、人様には言えない愛着があるので、實さんが生きているうちは奈良田の文化を守り、また、掘り起こしていきたいと言います。

 奈良田には、實さんのように、自分達の文化を守っていこうとする方々がたくさんいらっしゃいます。本当に奈良田で受け継いでほしいもの。それは、こうした奈良田の人々の想いなのかもしれません。

検索エンジンなどから来られた方はここからトップページに戻れます 2003/12/08
文責 福永 香織
奈良田