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 奈良田には昔からの言い伝えとして「奈良田の七不思議」というものがあり、主に王平にある奈良王様にまつわるものです。
 それらはかつての集落の周辺に点在していたので、洗濯池はダムの建設とともに水没してしまっています。残っているものを奈良田に来たついでに全て回ってみてはいかがでしょう。

 七不思議とは、
 1.御符水 (写真・上)
 奈良田の里の中にあります。奈良王様がお掘りになった用水池でどんな旱魃でも水量が減ることがなく、どんな豪雨でも水が濁ることはなく、飲むと諸病に効能があるといわれています。
 現在では、飲料水としても、観光客や町民に愛用されています。皆さんも奈良田の里を訪れた時には是非一杯!

 2.塩の池 (写真・中)
 塩を得ることに不便を感じられた奈良王様は、八幡神社に祈願されたところ、お手洗い池から塩水が湧くようになりました。昔はここの水から塩を得たり、調理に使ったりしました。
 現在はダムの建設により、移転され、源泉からポンプで池まで持ってくるそうですが、水の塩気のためにすぐにポンプが駄目になってしまうのが悩みの種なのだそうです。

 3.染池
 奈良王様がお衣をお染めになられた池で、昔はこれで「タホ」布を染めて着ました。
 茶色っぽい色に染まるようです。

 4.二羽烏
 奈良王様がお住みになられた頃の奈良田には烏がたくさんいて、村人が畑に作っている作物を食い荒らし、村人は困っていました。
 情け深い奈良王様は、ある日烏を集めて、「これからは人間の作っている作物を食べてはならない」と厳重に言い、十数日して再び烏を集めて全部の烏の腹の中を調べたところ、二羽の烏を除いたほかの烏は、相変わらず作物を食べていたので、奈良王様は大変に悲しみ、お怒りになられ「言いつけを守った二羽だけは鎮守の森に住んでも良いが、他のものはここへ置くわけにはいかない。今すぐ他国へ出て行きなさい。この地には永久に烏は二羽だけしか住んではならぬ」と二羽を残して、数十羽の烏を追放されました。
 それ以来奈良田には烏は二羽だけしか住まなくなったといいます。本当でしょうか?

 5.洗濯池
 厳寒期の洗濯に苦労された奈良王様は、八幡神社に祈願して温かい泉を掘られ、里人の苦労を救われました。

 6.片葉の葦 (写真・下)
 奈良王様が都へお帰りになられる時、お後を慕った村人と共に葦もみな一様に北のほうを向いて片葉になりました。現在でもこの辺りに生えている葦には、北側片方にしか葉が生えていない”片葉”の葦です。

 7.七段
 奈良王様がお住いになった王平から早川河原までは自然の七段になっていますが、これは奈良の都の七条に習ったものだといわれています。
 以上の七つです。

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