前の記事へ 早川、夢とともに 次の記事へ

 朋子さんは岡山県に生まれ、高校まで静岡県で育つ。その後、環境保護を勉強したいと思い、北海道の大学に進学。入試の結果上、経営専攻科に入るが、在学中ずっと環境保護の授業を受け続ける。

 卒論は、「有機農業の経済性」。そのころ曖昧だった有機農業という存在を経済面から研究したが、経済では計れない魅力を知るようになる。卒論時に新得町(北海道十勝)の障碍者たちや若者たちを大勢受け入れた有機農業を実践している農業施設で住み込み生活をする。そのほか、動物園での仕事、植木屋さんで大木の植木を担いで運ぶバイトなど、有意義な学生時代を送る。

 のちに道東のオホーツクの見える町で結婚し、敷地50haの大規模農業を始めることとなる。しかし、腰のヘルニア、有機農業とのギャップ、子育ての面などから、リフレッシュを兼ね2003年4月、見たことも聞いたこともない早川町をネットで見つけ、山村留学としてやってきたという。

 家は、角瀬の二階建ての一軒家を役場の方が手配してくれ、5LK7000円で借りている。大家さんもとてもよい方で、室内犬、猫のいる朋子さんファミリーを快く受け入れてくれた。高台に立地していることもあり、夜のベランダでの星を見ながらのビールは格別だという。

 屋根にはソーラーがついており、晴れた日にはお風呂に熱湯が出るためお湯を沸かす必要がない。がしかし、5月に風呂釜のタイマーが突然壊れ、晴れた日にしかお風呂に入れない生活となる。しばらく天気次第の生活も面白がっている家族であったが、北海道にはない梅雨時期は、ずっとお風呂に入れないことにふと気づき、慌てて温泉に入りに行くはめに。それでも、冬までに直せばいいかとのんびり構え、晴れた日を神の御恵みなんて親子で感謝しながら、楽しんでいるという。

 小6の息子さんの夢は設計士。大工好きな息子さんに薬箱を作ってくれとお願いすると、すぐに車輪つきの薬箱(写真)を作ってくれ、重宝している。色々なものを作ってくれるとか。小4の娘さんは生まれて初めて吹奏楽でフルートを演奏していて感激している。また、夏にはせっかく北海道から南国に来たことだしと、もっと南の八丈島でダイビングも体験する。北海道では体験できないものにいろいろとチャレンジするようになった子どもたちである。朋子さんは南保育所で保育士をしている。園児が笑顔で両手を広げて抱きついてくる姿は、なんとも嬉しく幸せを感じるとか。

 早川では、七面山の眺めが良い赤沢が好きであり、またドライブ好きということもあって土日はあちこちに出かけては迷子になっている。お風呂がお風呂なので、今はヴィラ雨畑、奈良田温泉にも顔を出して楽しんでいる。また、園児のお母さんから教えてもらった下部の蛍は、北海道ではめったに見られないため、親子で感激しまくり3度も出かけてしまうほどだったとか。

 北海道で体を悪くし農作業に支障が出るようになってから自分で出来ることはないかと草木染を始める。ストール、巾着袋などを染め、道の駅、喫茶店にて販売。しかし多くの人たちが染をしている中でなかなかオリジナル商品開発が出来ず、エッセイを商品につけたり、染料である植物の説明を詳しく書いたりして販売。その販売方法にも疑問を感じ壁に当たっていたころ、環境を考えた染を実践している先生から草木から色をとってクレヨンを作る方法を伝授。そのころ、ユースホステルや町内外でも染めの講習会を開いていたが、そのとき「市販の石油系のクレヨンや絵の具が使えないアレルギーの子どもたち」に出会う。その子どもたちのために作れたら、、、生まれて初めて思いっきり絵を描かせてみたい。その思いで今、密かにクレヨン作りを研究しているとか。いつか早川の木や草の名前のついたクレヨンが作れるかもしれない。

 そして、もうひとつの夢は、ピザの窯を作りたいということ。ピザを小麦粉から練って、ソースもトマトから煮込む。しょっちゅう作るので電気代が馬鹿にならない。だったら窯を作ってしまおうという単純な考え。しかし考えは単純でもいざ窯を作るとなると素人であるため本を買って研究しているばかり。川原の石を毎日うんこらしょと一緒に運んでくれる人が見つかったら動き出すだろうとのんびりしている。

 早川は、とても親切で優しい人たちが大勢いると感じているという。人を受け入れてくれる温かさを感じるとか。初めてこの町に来た日も、すぐに声をかけてくれ、知らない人たちも「もう慣れましたか?」と声をかけてくれる。北海道では浜の漁師さんの多く住む地区に住んでいたので、慌しい生活だったが、ここでは、お年寄りも多く、のんびりと川の流れを聞きながら時を過ごすという初めての経験をし、ここに来てよかったと親子で感じているらしい。北海道に住んでいたとき、その町のメールマガジンを書いていた朋子さんは、今も原稿を書き続けている。「故郷サロマに向けて」というタイトルから今は「山梨に行ったtomo」へ変わった。サロマへの気持ちから、今は早川での様子を綴る様になったからだという。それだけ居心地のいい生活に馴染んできたということらしい。

 そんな早川で、夢をいつか実現してください。

検索エンジンなどから来られた方はここからトップページに戻れます 2003/08/06
角瀬